Vol. 05 / 03 それぞれのさまざま | un / bared
2022.02.17 un / bared

Vol. 05 / 03 それぞれのさまざま

Haruka Shiine しいねはるか
Haruka Shiine しいねはるか
Haruka Shiine しいねはるか
Haruka Shiine しいねはるか
Haruka Shiine しいねはるか
Haruka Shiine しいねはるか
Haruka Shiine しいねはるか
Haruka Shiine しいねはるか

Model : しいねはるか (https://shiineharuka.wixsite.com/home/)
Photography : 工藤ちひろ
Direction & Text : Nozomi Nobody

 こんなことを言ったら変なひとみたいだな。と、自分で自分にダメだししてしまう時期が長かった。

 こんなことを言ったら変かも。と場面で使い分けているうちに、ほんとうの姿がわからなくなった。

 何を考えているのかわからないと言われることもあった。自分でもわからなかった。

 その時期にandymoriが、ほんとうのこころ、ほんとうのきもち、と歌うライブを観て、そんなものを大切にしていたら生きていけないのではと思った。その反面、そんなふうに生きていくことを渇望していた。

 はるかさんがun/baredのことを書いてくれた文章から。

 はるかさんは「さまざまさ」という言葉をよくつかった。Zineやエッセイを書くことについて

 「さまざまさのひとりとしてできることをしようと思った」
 「さまざまさの記録のひとつとして書いてる」

と言い、その動機にはなにがあるの、と訊くと、「さまざまさをなかったことにするのが嫌だ」と言った。

 「でもさまざまさってあんまりひとに話さないよね。わたしは本当はそのさまざまさのひとりなのに、便宜上〈こじらせた経験なんてありませんよ〉みたいな顔しなきゃいけない場面の方が多いじゃん、大人だし。普通人前ではそんなの出さないよね。だけどそれを出さないことでさまざまさがなくなって平面になっちゃう。でもひとってもっと異物感があるじゃん。そこがとてもすきだから。」

 「変なひと」だと思われないように、ひとと違うことをしないように、わたし(たち)はいつもついつい気をつけてしまう。

 ひとと違うことを「怖い」と初めて思ったときのことをとてもよく覚えている。小学校一年生まで暮らした千葉の団地を離れ、東京という土地の新しい学校で迎えた始業式。知らない顔たちのはしゃぐ声が雑踏のように響く見慣れない教室で、ちらちらと周りの様子をうかがいながら、自分の名前が書かれた席に身を固くして座っていた。黒板に書かれた担任の先生からのあいさつの言葉の最後に「新しいお友達とも仲良くね」とあり、それがとても、とても嫌だった。
 例えば服装や髪型。例えば言葉遣い。例えば防災頭巾、お道具箱、給食袋。そういうわたしの全てが、みんなのそれと違ったらどうしよう、わたしだけ同じようにできなかったらどうしよう、となにもかもが不安だった。登校する前日、持ち物を確認しながら母に「みんなと違ったらどうするの?」と訊くと「前の学校ではこうだったんだよ、って言えばいいでしょ」と言われた。そんなことできるわけがないと思った。

 十代後半になると、三つ上の姉がひとと違うこと好み、ひとと違うものをひとと違うという理由で選ぶようになった。小さいころから彼女の真似ばかりしていたわたしはそれをみて「ひとと違う方がかっこいいのだ」「みんなと同じなんてつまらない」と信じるようになった。黒のリクルートスーツなんて最悪だと言って、若草色のジャケットとふんわりしたロングスカートのセットアップを着て大学の入学式に出掛けていった彼女に倣い、わたしは母に買ってもらった真っ白いスーツを着て専門学校の入学式に出席した。堅苦しい学校ではなかったし色んな服を着たひとたちが集まっているだろうと安易な想像をしていた。ところが会場に着くとわたし以外は全員黒やネイビーあるいはグレーのリクルートスーツを着ていた。わたしは自分がひどく場違いのように感じられてとても動揺した。その日わたしはなぜか新入生代表の挨拶を頼まれていたので、他の生徒たちとは離れた一番前の端の席に通された。挨拶への緊張よりも、黒いスーツの中でひとり真っ白に浮かずに済んだ安堵を感じていた。

 子どものころからわたしの周りには強烈な個性を持ったひとたちがたくさんいた。そんな中にいて、自分はなんて無個性で凡庸でつまらない人間なんだろうと思いながら大人になった。個性というものへの切実な憧れと、それを持たない自分への劣等感。だけど同時に「変わったやつ」「変なやつ」だと思われることへの恐怖もずっと持っていた。「普通」を嫌悪し小馬鹿にしながらも、そこから大きく外れることは怖かった。つまり、とても中途半端だった。とても、ダサい。

 わたしのことを「変わってる」とか「個性的」とか、言うひともいる。自分のことを客観的にみるのはわたしにはとても難しいから、自分ではよくわからない。そうなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。あるいは見方やタイミングにもよるのかもしれない。

 いまは、別にどっちでもいいな、と思う。というか、面倒くさい。変も普通も、面倒くさい。わたしがはるかさんを好きなのは、はるかさんが変わってるとか変とか、だからじゃなくて、はるかさんだからだ。はるかさんがはるかさんのさまざまさーー「20年以上バンドをしているのにライブハウスの光に疲れてしまう」「飛行機に乗ると震えて熱が出る」「緊張で力が抜けない日に腹筋が割れる」etc..ーーを受け入れて、それをそのまんまに生きているからだ。

 自分だけしか知らない、ちいさな違和感。見たくないこと、見せたくないこと。きっとそこには何かが宿っている。今はそれを知っていくことが面白い。他者を知っていくことも面白い。

 はるかさんの文章のつづき。なんて健やかなんだろう。自分の声で歌う術を自ら切り拓いて身につけ、それに共鳴するたくさんのひとたちに出逢ってきた、そういうはるかさんのありようを見ていると、はるかさんの書く文章がどうしてあんなに素直にわたしの中に入ってきたのか、その理由がよくわかる。

 わたしの中にある「ちいさな違和感」にはなにが宿っているだろうか。

Vol. 05 / 01 わたしとわたしの魂、その距離と関係について
Vol. 05 / 02 自分の声で歌う
Vol. 05 / 03 それぞれのさまざま

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