Vol. 04 / 03 with カナイフユキ | un / bared
2021.08.02 un / bared

Vol. 04 / 03

Fuyuki Kanai

Model : カナイフユキ – Illustrator / Zinester (https://fuyukikanai.tumblr.com)
Photography : ともまつりか
Text : Nozomi Nobody

 フユキさんと話したあと、生きづらさについて書きたいとぼんやりと思っていた。
 わたしがフユキさんの作品に惹かれるのはなぜだろうと考えてみれば、根底にある「生きづらさ」になにか通じるものを感じているからではないかという気がした。

 “生きづらさをどう変換していくか”というのはun/baredのテーマのひとつでもあるのでこれまでも散々書いてきたところではあるけれど、わたしの中にあるそれはひとえに“自分を愛せない”ということに集約されていたように思う。そのことに気づいてから、どうしてそうなったのか、考えるようになった。思い当たったことはいくつかあり、その一番最後に出てきたのが、母に対するコンプレックスだった。

 わたしは、母に褒められたことがない。

 破天荒である種問題児だった姉と、繊細でナイーブな弟に比べ、わたしはソツのない子供だった。学校の成績は大抵いつもよかったし、学校行事や部活動も一生懸命やった。それでも、テストの結果が学年で何番になろうと、部活の試合で活躍しようと、母に褒められることはなかった。小学校の合唱団の発表会で内心とてもどきどきしながらソロを歌ったときも、高校受験で志望校に受かったときも、専門学校の入学式でひとり真っ白いスーツを着て新入生代表の挨拶をしたときも、Nozomi Nobodyになるよりももっと前、初めて大きなワンマンライブをしたときも。母にはいつもそれらの事象が見えていないみたいだった。彼女の視線はわたしの体をすり抜けて、その向こうにあるなにか別のものに向けられていた。わたしは透明だった。

 母に認めてほしくてなにかを頑張ったという記憶はない。わたしはいつも自分がやりたいと思ったことを自分のために頑張った。それでもその過程や結果を母親という一番身近な存在に認めてもらえなかったことは、子供ながらにきっと悲しかったし寂しかったのだろうと思う。そしてその悲しさや寂しさはひっそりとわたしの中に降り積もっていたのではないか。

 フユキさんは「自分の中に思い込みがある」と言った。「自分はなにをどう頑張っても失敗する、そしてその原因はすべて自分にある」という思い込み。「家族との関係の中で、あまり自分を好きになれるように育たなかった」「自分の思い込みを作っているのは育ってきた環境や社会だ」とも。
 いつだったか、とあるラッパーの女性がWebのインタビューで「いま少しずつ呪いを解いているところ」だと言っていたのを思い出した。あぁわかるなぁ、と思った。
 わたしもずっと、全部自分が悪いのだと思っていた。自分のどこかのなにかが欠けていて、足りなくて、だからダメなのだ、だからいつまで経っても何も変わらないのだ、と思っていた。思い込んでいた。自分で自分に呪いを重ねていた。

 この間夜に洗面所で歯磨きをしているとき、鏡に映った自分の姿を見てふと「なんか悪くないな」と思った。そして次の瞬間、それがいかに画期的なことか気がついた。てっぺんからつま先まで、中も外も、嫌で嫌で仕方がなかった自分自身のことを「悪くない」と思った!そのことにひとり驚き、興奮した。

 そうして再び母のことを考えた。
 わたしが自分のことを許せるようになってきたのは、自分が完璧ではないことを心と体でようやくちゃんと理解し、完璧でない自分でいることを自分自身に許したからだ。
 わたしが完璧ではないように、母もまた、完璧ではなかった。母は、3人の個性的な子供と、その比ではないほどの圧倒的な個性(!)を持った夫とその実家、そして彼女自身の実家や、仕事、社会、様々な関係性や制約の中で、たくさん葛藤し苦しんできた、ひとりの愛すべき人間だった。そのことに思いを巡らせるとき、わたしは彼女のことを受け入れられると思った。彼女自身も、彼女とのこれまでの全部も。そうしてこれから先の彼女との時間と関係を、また作っていける、いきたい、いこう、そう思った。

 わたしたちは、選ぶことができる。わたしたちはもう術も言葉もなく立ち尽くす小さな子供ではないから、わたしたちは、思い込みや呪いから自らを解き放って、自分で意志を持って生きる、そのことを、選ぶことができる。

 フユキさんは「自分のことは許すけど、社会のことは許さない」と言って笑った。とてもいい言葉だなと思った。それは、自分自身をまるごと受け入れて、同時に世界をちゃんと変えていこうという決意表明だった。
 わたしたちは、わたしたち自身を変えることを、あるいは変えないことを、選ぶことができる。そして同じように、わたしたちの生きるこの世界を、変えること、もしくは変えないことを、選ぶことができるのだ。

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