さまざまの単数と、さまざまの複数|『女ふたり、暮らしています。』(キム・ハナ、ファン・ソヌ) | un / bared
2021.09.21 読書感想文

さまざまの単数と、さまざまの複数|『女ふたり、暮らしています。』(キム・ハナ、ファン・ソヌ)

女ふたり、暮らしています。

Text : Nozomi Nobody

シングルでも結婚でもない、 女2猫4の愉快な生活

単なるルームメイトでも、恋人同士でもない。
一人暮らしに孤独や不安を感じはじめたふたりは、尊敬できて気の合う相手を人生の「パートナー」に選んだ。

(本書帯より)

 最近「ひとりでいること」についてときどき考えるようになった。

 わたしはひとりでいることが好きだし、ひとりでいることに自由も安堵も感じる。ひとりでいることを気に入っている。ただ、あるときパートナーを持つ友人たちを見ていてふと思ったのだ。どうして彼らは複数の“彼ら”であるのに、わたしは単数の“わたし”なのだろうと。

 20代までは、例え平均より遅かろうと自分もそのうち人並みに結婚したりするのだろうとなんとなく思っていた。でもこの1~2年で、このまま、つまりシングルのままひとりで生きる人生もあるのかもしれない、わたしの人生はもしかしたらそういう人生なのかもしれないということをある程度のリアリティーを持って想像するようになった。

 わたしは自分の人生に対してあるの種距離を置いているようなところがあり、自分の人生だとはいえコントロールできることなんてたかが知れているのである程度のことは人生自身にお任せするようにしている。だから、もしこのままひとりで生きる日々が死ぬまで続いたとしても、あるいはそのうちひょっこり誰かと出会い、一緒に生きていくことになったとしても、どちらに転んでもいいと思っているし、どちらに転んでもそれを受け入れるつもりでいる。

 いまのひとりの暮らしを気に入っている。とても気に入っている。わたしの部屋にはわたしが選んだわたしの好きなものだけがあり、それらがわたしの秩序でもって並べられている。そしてその秩序を誰に乱されることもない。誰に気をつかうこともなくわたしはいつでもギターを弾き歌を歌うことができるし、誰に邪魔されることなくいつでも集中してパソコンに向かうことができる。誰の物音に起こされることもなく、眠くなったら眠り、目が覚めたら起きる。好きなときに好きなものを作って食べる。そこに他者が介入してくる状態がうまく想像できないし、自分がそれを望んでいるともあまり思えない。つまり、満足している。

 でも。でも。例えばくたくたになって帰りやっとの思いで玄関のドアを開けるとき、おかえりと言って迎えてくれるひとがいたらいいなと思う。例えば心底不快なことがあったとき、愚痴を聞いてくれるひとがいたらいいなと思う。例えば決断をしなくてはいけないことがあるとき、一緒に悩んで考えてくれるひとがいいなと思う。例えばなんでもないとき、一緒にお酒を飲んでどうでもいい話をする相手がいたらいいなと思う。そういうことはもちろんあり、これらの感情の名前はきっとさみしさと呼ばれるものなのだろうという気がする。

 そんなことをぼんやりと考えていたときに出会ったのが『女ふたり、暮らしています。』だった。

 40代を目前にしたシングルの女性ふたりがローンを組んでマンションの一室を購入し、猫4匹とともに一緒に暮らしはじめた、その日々を綴ったユーモアと活力に満ちたエッセイ集。「最高!最高!最高!」と心の中で喝采を送りながら、二日で一気に読み終えた。

 彼女たちは些細なことで喧嘩をしながらもそれぞれに家事を分担し協力し合い、一方が入院をすればもう一方が付き添い、互いの誕生日には自転車を送り合い、夜な夜な酒を飲みながら好きな音楽を聴く。ふたりは疑うべくもなくパートナーなのであるが、そこに恋愛は介在しない。これは新しい家族の形の、その物語だった。

 無意識のうちに染み付いていた価値観がまたひとつ剥がされた。だけど考えてみれば当たり前のことだった。パートナーがどんなジェンダーであってもいいのはもちろんのこと、そこに恋愛感情がある必要なんてぜんぜんないのだった。相手への信頼と敬意、そして愛情があれば、たくさんのものを共有しながら一緒に一喜一憂し、支えあいながら共に生きていけるのだ。

 彼女たちが示してくれたのは新しいパートナーシップの形だけでなく、新しい在り方・生き方をたおやかに体現していくその姿勢だ。目まぐるしく変化していく世界、変化していくわたしたち。知らず知らずのうちに捕われている「あたり前」からなるべく離れたところで自由に暮らしたい。

 人生を人生にお任せしていると書いたけれど、彼女たちの満ち足りた、そしてなにより本当に楽しそうな日々を垣間見て、わたしもいつかわたしの「パートナー」に巡り会えたらそれはきっととっても素敵なことだと思った。著者たちはふたりとも揃って「ひとり力を極めた」そのあとに出会いが巡ってきたと書いていた。だからわたしもこのまま心ゆくまでひとりを楽しみ、思う存分極めてみようと思うのだった。


 ちなみに本書では、こうした新しい形のパートナーシップにおいても従来の婚姻関係と同じように社会福祉や法的な保護を受けられるようにするための仕組みの必要性についても触れられている。フランスではすでに「民事連帯契約」というものがあるそうだ。同性婚や夫婦別姓の議論さえなかなか進まない我が国の現状を思えば気の遠くなるような想い。だけど時代は確実に変わっているのだから、わたしたち自身が変わっていくことでわたしたちの生きる世界もちゃんとちゃんと変えていきたい。

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