みちわたるしんたい[1通目]夏の終わりのハヤシライス | un / bared
2021.09.22 みちわたるしんたい

みちわたるしんたい[1通目]夏の終わりのハヤシライス

Illustration & Text : おざわさよこ

 のぞみさん、こんにちは。今年の夏は何も言わずにふっと消えてしまったみたいで、身体は楽だけれど寂しくもある今日この頃です。

 わたしにとっては、うだるような暑さも皮膚を焼く日差しも煩わしいもので、長らく夏は最も苦手な季節でした。でもここ数年は、春から夏にかけて、そこら中の植物がぐんぐん蒼さを取り戻していく姿や、半袖の学生たちが駆け回る姿が眩しくて、愛おしくて、今までとは少し違う感情を持つようになりました。それは土のにおいのする街に越してきて感じやすくなったものなのか、年齢を重ねたことによるものなのかはわからないのですが、みちみちる生命力のおすそ分けをもらっているような、不思議な高揚感があるのです。

 さて、前置きが長くなりました。初めての手紙だから、一等すきな食べ物を選ぶべきかしら、と考えたのですが、わたしはどうも何かの一番を決めるのが苦手なようです。難しく考えずに、思いついたことを書いていこうと思います。

 少し前、知人がSNSに、「自炊をしているとカレーよりもハヤシライスが好きかも、と思う人が結構いるのでは」というようなことを投稿していました。ああそういえば、ずいぶん長らくハヤシライスを食べていない。だけどわたしには、ハヤシライスが特別な好物だった時期がありました。

 それは幼稚園から小学生の頃。わたしの母は岐阜出身、父は山梨の出身で、そのどちらでもない土地を転々としていた私たち家族は、盆休みには母の実家、正月休みには父の実家で過ごすことが習慣になっていました。それぞれの祖母はいつも、子どもの好きそうな、とっておきの料理を用意して迎えてくれました。夏の岐阜で過ごす何日かの間に、必ずと言って良いほど食卓に並ぶのが、祖母特製のハヤシライスでした。岐阜の祖母は実は料理が苦手でした。これは彼女自身もよく言っていたことなのですが、祖母と一緒に暮らした6年間(中高生の頃です)で、その言葉を裏付ける失敗を何度も目撃しました。炒め物のお皿を傾けると油が流れるほどで味がしないとか、うなぎに誤って黒蜜をかけてしまうとか、お魚が真っ黒こげだとか。作ってもらえることがありがたいから、勿論美味しく頂いていましたが(うなぎはさっと洗ったんだっけな)、とにかく彼女には料理に対する苦手意識がありました。

 そんな彼女の作るハヤシライスが、幼いわたしにとってご馳走でした。具は玉ねぎと牛肉、人参、マッシュルームとグリンピースは入っていたっけかな。それを市販のルーでじっくり煮込んで、盛り付けた後にちょっぴりウスターソースをかけるのが彼女流でした。そうすると酸味とスパイスで味がまとまって、特別美味しくなるのです。中でもトロトロの玉ねぎがわたしのお気に入りでした。意図してやっていたのか、煮込み加減なんて気にしたことのない偶然だったのかはわかりませんが、祖母のハヤシライスの玉ねぎは、とびきり柔らかくて甘いのです。母はあまりハヤシライスは作らなかったし、カレーの玉ねぎも食感がしっかり残るくらいの煮込み具合でした。こんなに美味しい玉ねぎ食べたことない!レストランみたい!とわたしは感激し、次の夏もその次の夏も、いつハヤシライスが出てくるかな?と楽しみにしたものです。料理が苦手だという彼女に、そのことをきちんと伝えたかどうかは覚えていません。

 祖母の様子が変わり始めたのは、2~3年前くらいからだったと思います。彼女は部屋に日めくりのカレンダーを掛けていたのですが、1日1枚ずつのはずが2枚めくってしまったり、今日は何曜日だっけ?と頻繁に確認してくるようになりました。離れて暮らすわたしは、たまにそんな彼女の姿を目にしても、「気にしすぎ!大丈夫大丈夫」などと軽い返事をしていました。祖母が変わっていく姿を受け入れられず、自分自身に大したことない、と言い聞かせていたのだと思います。

 結論から言って、その変化は気のせいではありませんでした。あやふやな言動が増えてきた祖母はデイサービスに通うようになり、そうこうしているうちにコロナがやってきて、わたしが岐阜に帰ることができないでいるうちに、彼女は施設で暮らすようになりました。母がお世話をしようと頑張ったようですが、夜中の徘徊や自分で起きられないなど、自宅でみるのは難しい、ということになったようです。わたしは時々祖母に絵葉書を送るようになりました。

 大学生になって実家を離れてから、祖母はわたしに度々絵葉書を送りました。彼女は長年絵画教室に通って絵を描き、わたしが挑戦したことのないような大きな作品を残しています。元気ですか、大学は楽しいですか、そう語りかける彼女の絵葉書に、わたしはほとんど返事をしませんでした。まあ夏になったら帰るしな、そんな風に言い訳をして。大人になってからは返事を書くようになりましたが、最後に手紙が来たのはそれこそ2~3年前かな。もう殆ど読めないような、震える文字でした。これから送るわたしの絵葉書に、返事がくることはないと思います。それでもわたしは葉書を送り続けるつもりです。あの頃彼女がそうしてくれたように。

 今年の夏休みは終わってしまったし、来年の夏になっても、彼女が再びキッチンに立つことはないでしょう。そうした想像はわたしに恐怖を与えるのだけれど、それでもこうして彼女とのことを振り返ることができて、わたしはほんの少し救われた気持ちになっています。嫌いだった暑さが今は少し愛おしく思えるように、人間は生まれてから変わり続けて、そのうちに終わりに向かっていくのだ、と言うとまるで悟ったみたいですが、そんなことはなくて、受け入れたり、受け入れられずに悩んだりしながら次の夏まで生きようと思います。

 窓の外から鈴虫の鳴き声がします。東京も夜は冷えるでしょうから、どうぞ身体に気をつけて。

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