Vol.01 / 02 | un / bared
2020.01.28 un / bared

Vol.01 / 02

Model : Sayoko Ozawa – Illustrator / Bassist (my letter)  twitter  instagram
Photo: Rika Tomomatsu / Text: Nozomi Nobody

 「いろんなひとおるなってことをいつもわかってるのは大事なことだと思う」とさよこさんは言った。

 わたしは19歳から21歳までの2年間をアメリカのNY州の外れにある小さな田舎街で過ごした。寮で生活しながら2年制の大学に通っていた。本当に小さな街、というか村のようなところで、冬になれば山のような雪が降り、車で道を走れば鹿やリスとすれ違った。

 いろんな学生がいた。NY出身の子が多かったけど、西海岸から来ている子もいたし、世界中から留学生も来ていた。一度社会に出てから復学してきた歳上の学生も何人もいたし、自分のジェンダーを公言しているLGBTQの子たちも多くいた。裕福な家庭から来ている子もいれば、保険料を払えず病院に行けない、今日食べるごはん代が払えないという子もいた。モデルみたいな子もいれば、日本ではあまり見かけないくらい大きな体の子もいた。様々な意味で、本当にいろんなひとがいた。それはわたしにとって初めて目にする世界だった。

 印象的なエピソードがある。アダムという白人の男の子がいた。彼はキャンパスから車で数時間離れた、同じように小さな田舎街の出身で、敬虔なクリスチャンだった。真面目で愚直で、ハンバーガーやピザを美味しそうに食べるチャーミングな子だった。驚いたことに、彼は大学に入って初めて有色人種を“見た”のだそうだ。人種のるつぼと呼ばれるアメリカでは、みんな日本人の自分よりよっぽど多様な民族に慣れているものだとばかり思っていたけど、そうではなかった。アメリカは広い。いろんなコミュニティーがある。だから彼にとっては、外国人と接するのも初めての経験だった。わたしたちが初めて顔を合わせたとき、わたしの英語はまだまだ拙くぎこちなかった。必死に話しかけ会話しようと試みるわたしに対し、彼はあからさまに困ったように苦笑いを浮かべ、肩をすくめたきり何の言葉も返してこなかった。会話は会話にさえならずに終わってしまった。

アダムとはだけどそれからも度々顔を合わせる機会があり、わたしたちは良い友達になった。あるとき彼はこんなことを言った。

 「ノゾミと初めて会ったときはラリってるのかと思ったよ」

 もちろん冗談半分で、わたしも笑って聞いていたけど、それは実際とても衝撃的な告白だった。「知らないということはそういうことなのだ」と思った。外国人が外国に来て外国語を喋り暮らすということがどういうことなのか、当時の彼にはまったく、想像さえできないことだった。だからわたしの拙い英語に触れても「まだうまく喋れないんだな、でも一生懸命何かを言おうとしてるんだな」とか、そういう想像力が働くことがなかった。故の、あの行動だったのだと、そのときはじめて理解した。彼は単純に「外国人」という存在を“知らなかった。”

 撮影の合間、移動の車の中でわたしたちは様々なジェンダーや、夫婦別姓、フェミニズムなどについて話した。わたしたち3人の意見は概ね同じで、バックグラウンドに関係なくそれぞれが尊重し合いのびのび生きられる世の中を望み、そのための行動や活動に賛同していた。そうして、そういった動きを阻んでいるものについて考えた(政治的理由は言うまでもなく大きくその話ももちろんしたけれどひとまず今回は割愛)。例えば同性婚や夫婦別性に反対するひと。#MeTooや#KuTooの活動を叩くひと(これらはSNSにおいて非常に顕著なので、みかけたことのない方はぜひ一度検索してみてほしい。その意見の多様さに、ちょっと、とても驚くと思う)。わたしたちは彼らの心情についても話をした。

 ここに例を挙げたいくつかのトピックは、例えば憲法改正や原発の是非というような、ふたつにひとつの選択を迫るようなものではない。同性婚や夫婦別姓、あるいは社会における男女平等が実現したからといって、異性と結婚したいひと、夫婦同姓を希望するひと、そして男性たちの権利が奪われたり危ぶまれたりするわけではない。

 選択の自由、ということだと思う。

 生きていきたい名前を選ぶ自由。
 一番好きなひとと結婚する自由。
 好きな服と靴を身につけ、好きな髪型で仕事や学校に行く自由。

 選びたいひとが選びたいものを選ぶ。そしてより多くのひとがそうできるように、選択肢はなるべく多い方がいい。いつも買い物に行くスーパーに、なるべくいろんなものが売っていたらいいのと同じように。たくさんの商品が並んだその場所で、ポテトチップスを買いたいひとはポテトチップスを買い、有機野菜を買いたいひとは有機野菜を買えばいい。買い物に来た誰もが、持ち合わせた特性に関わらず同じように「選ぶ権利」を与えられるべきだし、その選択に対し周りから干渉されたり文句を言われたりするべきではない。大切なのは、選び、買える場所が皆に平しくに用意されていること、そしてその場所が開かれ、安全であることだ。

 「知らない」ものをわたしたちは怖がる。その奥に予期せぬ事態が潜んでいるのではないかと想像してしまうからだ。それは危険を回避するための防御本能でもある。知らなくてわからなくて、怖くて不安だから、攻撃する。その心理は理解できる。だけどその前にできることがきっとあるはずなのだ。

 アダムの話には続きがある。卒業間近になって、キャンパス内でダイバーシティ(多様性)について話し合う機会があった。その場で彼は、わたしやわたしたちが仲良くしていた黒人の男の子の名前を挙げ、大学に来てからいろんなひとと関わる中で学んだことについて話した。自分が無知であったことを認め、みんなのことをリスペクトしている、と結んだ。忘れられない出来事だ。

 「知る」ということ。
 知ろうとすること。わかりたいと願うこと。どうしてだろうと疑問を持ち、自分なりに調べ、考えてみること。
 試しにちょっと触れてみること。ぬくもりを共有すること。同じ傷みを抱えていることに気づくこと。

 さよこさんは、これまでに出逢ってきたひとたちや、いま関わっているひとたち、周りのいろんなひとの話をしてくれた。
 裕福なひと。そうでないひと。
 幸せそうにみえるひと。そうでないひと。
 広い世界に興味を持ち、関わろうとしているひと。そうでないひと。
 自分の可能性を信じているひと。そうでないひと。

 「いろんなひとおるなってことをいつもわかってるのは大事なことだと思う」

 答えはまだない。だけど、いろんなひとがいるよねという話をひとしきりしたあと、さよこさんが少し間を置いて言ったこの言葉はきっととても大きな、大切なヒントだと思った。

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