Vol.02 / 02 | un / bared
2020.05.19 un / bared

Vol.02 / 02

Model : スズキハルカ – Illustrator / Filmmaker (https://suzukiharuka.com/)
Photo: ともまつりか / Text: Nozomi Nobody

 『死にたいけどトッポギは食べたい』という本を読んだ。気分変調性障害という軽度の憂鬱症状のためにセラピーに通いはじめた筆者の体験の記録と考察が記されている。

 「気分変調性障害」という言葉を初めて知った。この本によればそれは例えば自己肯定感が極端に低かったり、ゼロか100かでしか物事を判断できなかったり、自分をいちいち疑ったり否定したりといった症状があり、読みはじめてすぐに「あぁこれはわたしのことだ」と悟った。そんなのは初めての経験だった。ずっと自分に欠陥があるのだと思っていたし、自分がおかしいのだと思っていた。
 わたしにはすごく身近に長くうつ病を患っていた人がいるが、彼が発症した当時まだ10代だったわたしは「鬱病なんて名前を付けるから鬱になる人が生まれるのだ」と、恥ずかしいけれど本当にそう思っていた。無知だった。
 だけどわたしがこれまで自分のことを「面倒くさいやつだな」と思う要因になっていた自らの特性にはちゃんと名前があるのだと知ったとき、それは確かにわたしに小さな安らぎを与えたのだった。

 似たような話で、性的マイノリティーと呼ばれるひとたちが思春期に「自分はおかしいのではないか」と不安に思い、だけど自分のセクシュアリティに付けられた名前を知り、そういう「性」もあるのだと知ったときにとても安心した、というエピソードを何度か耳にしたことがある。

 ハルカちゃんはパンセクシュアル(“好きになる性”を持たない人々のこと)であるが、セクシュアリティーについて聞いている中で「境界線を持つことで守られることがある」という話をしてくれた。例えば新宿二丁目とか、ビアンバー(とハルカちゃんは呼んでいた、レズビアンバーの略称)とか。特定の“名札”を持つひとたちが集まる場。いちいち説明を必要としないし、余計な誤解を招いたり無知なひとたちから誹謗中傷を受ける可能性も低い。

 わたしはずっと、境界線なんてなくなればいいと思っていた。得体の知れないものを無理やりカテゴライズして名前を付けることで知ったような気になり安心する、そのやり方が気に入らなかった。その事象や存在を、名称や属性に関わらず素のままの存在として受け入れるべきだと頑なに思っていた。
 自分自身のことで言えば、わたしが女だろうが何歳だろうが何人だろうが、どんな容姿だろうが、そんなことに関係なくもっと本質をみてもらいたいという強い気持ちを長いこと持っていた。自分に付けられたあらゆるラベルが鬱陶しかった。

 だけどそうして同じ名札をつけた者同士が集まり、そこに一種の境界線を引くことで守られるものも確かにある。それはそうだ。でも裏を返せば、境界線を出たら守ってもらえないということでもあるし、境界線によって分断が生まれたりかえって攻撃されたりすることももちろんあるだろう。
 ウイルス感染拡大下においてそれはひどく顕著で、その事実はわたしをひどく憂鬱にする。身を守るために名札を隠さなくちゃいけないようなことも、境界線を引かなくちゃいけないことも、とても悲しいことだ。

 名前とか顔とか、存在を象るあらゆるものがなくなったらーーということをわたしはときどき想像する。映画に出てくる中世ヨーロッパの仮面舞踏会みたいに、相手のことをなにも知らないままに出会う。そのときわたしは、大切なひとたちのことをいまと同じように大切に想い、同じように愛すことができるだろうか。逆に、わたしが名前も顔も声もぜんぶ失くしても、同じように愛してもらえるだろうか。

 だけどそうして外側をどんどん取り払っていって残るものは一体なんだろう。
 そう考えてみると、“存在”を象っているはずの境界はひどく曖昧だ。

 最近は名前についてよく考える。わたしはずっと名前というものから逃げてきたけど、自分で自分に名前を与えそれを名乗るというのは、自分が自分に対してきちんと責任を負うということに他ならない。

 ハルカちゃんは自分のセクシュアリティーをわざわざ言うこともないけれど、特に隠してもいない。当たり前と言えば当たり前なのだけど、性的“マイノリティー”と呼ばれている以上、特にこの日本ではまだまだ生きにくい場面もあるだろうと想像する。だからハルカちゃんの肝の座ったナチュラルさにとても好感を持った。

 境界線について考える。そうだなぁ、でもやっぱりいま付けている名札をみんなが全部外してもう一度出会ったらーーそのことをくり返し想像してしまうのだった。

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