とどのつまり美味しいものを美味しく食べられたらそれでひとまずは幸せ、ということなのかもしれません。
「女性であるわたしたちが表現していることが自ずとそこに繋がっていくっていうか、それ自体が希望だし、意識せずとも力になってると思う」
お通夜とお葬式のあいだ、わたしはごはんのことを考えていました。
わたしは、いつだってどこにだって、行けるんだよな、本当は、と思う、そしてこの身体を引き止めているもののことを思う。
祖母が焼いてくれたのにとてもよく似た豆餅も入っていて、わたしはそれを懐かしい気持ちでいただいて、すぐそばにはすやすや眠る産まれたばかりの小さな命があり、あぁ繋がっている、巡っている、とひとり感慨深い気持ちになりました。
「自分だけしか知らない、ちいさな違和感。見たくないこと、見せたくないこと。きっとそこには何かが宿っている」