Vol.0 / 04 | un / bared
2019.09.19 un / bared

Vol.0 / 04

Nozomi Nobody
Nozomi Nobody
Nozomi Nobody
Nozomi Nobody
Nozomi Nobody

Photo: ともまつりか
Model: Nozomi Nobody
Styling: Nozomi Nobody & ともまつりか
Text: Nozomi Nobody

 9月。
 鏡の中の自分が日に日に黒くなっていくのを、なんとなく誇らしい気持ちで眺めている。自分が少しだけ新しくなれているような気がして嬉しいのだと思う。
 台風が過ぎて、今日はようやく快晴。かと思えばときどきざーっと雨が降ったり。波はいつもよりまだ少し高い。

 島での暮らしも半分が過ぎた。どこにいても、なにをしていても、同じように日々は過ぎる。笑っていても泣いていても、淡々と、ただ過ぎる。それは当たり前のことだけど、同時にとても不思議なことのようにわたしには思える。
 すっかり当たり前になっていた東京の生活とはほとんど真逆の環境に身を置いてみて、どこにいても暮らすことができて、生きることができて、在ることができるのだなということを実感する。その自由さを想うとき、同じように不思議な気持ちになる。

 わたしを知っているひとが誰もいない場所に来て、わたしは誰でもなくなり、それはある意味で誰にでもなれるそのスタート地点に立ったとも言える。だけどこの小さな島で、どこに行っても誰に会っても発見するのは紛れもない自分自身で、さらに興味深いことに、ここ何年もすっかり息を潜めていた自分自身を日々見つけている。

 要らない気を使いすぎて勝手に空回りして疲れたり、思っていることがどうしても口に出来なかったり、あとになってから本当はあぁ思っていたんだあぁ言えばよかったんだと気付いて後悔したり。自分のなかの人見知りで不器用で口下手で、心配性で、引っ込み思案な部分。大人になるにつれて、様々な場面でちゃんと闘えるように、自分を鼓舞し、見せないようにしてきた部分。あぁわたしってこんなだったかもしれないとか、そういえば昔こんなことあったなとか。いろんなことを思い出しながら過ごしている。

 どこにいても同じだなぁと思う。東京にいても加計呂麻にいても、アメリカにいても。わたしはわたしでしかあり得ない。むしろどこかに行くたびにそのことを思い知っているような気がする。周りからどう思われようと、自分で選び、決めた、自分自身。それ以外にない。

 『生きてるだけで、愛。』という映画の中で、主人公の寧子が恋人の津奈木に「別れてもいいよ」と切り出したあと、「わたしはわたしとは別れられない。一生。いいなぁ津奈木、わたしと別れられていいなぁ」といって泣くシーンがある。
 わたしはわたしと別れることが出来ない。わたしでいることにどんなに疲れて飽き飽きしてうんざりしても。どこに行っても、誰でもなくなっても、わたしだけはわたしをいつだって知っていて、逃げることができなくて。

 たったひとつ確かなものの、その何と頼りないことだろう。

 いつだったか、友人のベーシストと作品の話をしていたときに「完璧なものって愛さないじゃない。恋愛でも、相手の完璧じゃない部分に魅かれるわけで、音楽も同じだと思うんだよね」と言われて、目から鱗が落ちた気がした。

 不完全さ。
 そのやるせなさ、苦しさ。美しさ。愛おしさ。

 どこまで行ってもいつまで経っても、心許ないまんま。そのまんま、これからもずーっと生きるのだな。

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