Vol.0 / 01 | un / bared
2019.06.21 un / bared

Vol.0 / 01

Nozomi Nobody
Nozomi Nobody
Nozomi Nobody
Nozomi Nobody
Nozomi Nobody
Nozomi Nobody
Nozomi Nobody
Nozomi Nobody
Nozomi Nobody
Nozomi Nobody

Photo: ともまつりか
Model: Nozomi Nobody
Styling: Nozomi Nobody & ともまつりか
Text: Nozomi Nobody

 子供の頃から自分が何者なのかということにとても興味があった。
 わたしをわたしたらしめているものとは一体全体なんなのか。

 ずっと自分のことが好きになれなかった。特に10代の頃は、変わりたくて仕方がなかった。変わることこそが正しいと盲目的に信じていた。必死に自分を鼓舞し変化を求め、だけどうまくいかず苛立ち失望するわたしに「そういうノゾミだってノゾミだと思うんだよね」と言ってくれた友達がいた。その時は全然意味がわからず、なんて的外れな意見なんだろうと思っていた。でも今はよくわかる。

 ステージで歌っているわたし。部屋着にメガネ、ぼさぼさの頭で近所のコンビニに行くわたし。好きなひとの前でなんかちょっと可愛いかもしれないわたし。赤提灯の居酒屋でクダを巻くわたし。実家に帰れば甘ったれで子供のままのわたし。ひとりの部屋でいつまでもどこまでも寂しくて不安でそれでも涙さえ出ない、惨めでかわいそうなわたし。
 
 たくさんの顔がある。みんなに見せる顔もあれば、大切なひとにだけ見せる顔も、誰にも見せない顔もある。自分自身で気が付いていない顔もあるだろう。
 悪くないなと思える自分も、いつまでたってもちっとも好きになれない自分もいる。
 それでも悲しいかな、どんな自分も紛れもないわたし自身なのだ。うまく自分を表現できず「こんなの自分じゃないのに」ともどかしくて仕方ない自分さえも。そのことが最近になってようやくわかってきた。

 素顔のまま、下着姿でカメラの前に立つ。
 化粧をしてみる。服を着替えてみる。
 写真に写った様々な自分の姿かたち。不思議な気持ち。
 もっとこうだったらいいのにと思うことはたくさんある。もっと痩せていたら、もっと顔が小さければ、もっと筋肉があったら、もっと指が長ければ、とか。それは本当にもう、たくさん。

 でもそのどれをも全部受け入れてあげたいなぁと最近はようやく思えるようになった。自分にツラく当たるのはもうやめようと決めた。好きも嫌いも、愛せるものも、許せないものも、ぜんぶ自分自身なのだから、仕方ないよね。そのことをまずは認める。そこからどうやらようやく“わたし”がはじまるのかもしれない。最近はそんな風に思う。

 baredなわたしも、unbaredなわたしも、baredであり、unbaredである。
 “un/bared”
 丸ごとを、認め合えたらいいね。

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