みちわたるしんたい[8通目]みんなでもひとりでも
Photography & Text : Nozomi Nobody
Title Lettering : おざわさよこ
すっかり陽が短くなって、晴れていると昼間は暖かいけれど夜は冷えるし、やっぱり冬に向かっているのだなあと実感する日々です。
さよこさんの手紙を読みながら、大好きな佐野洋子さんのエッセイを思い出していました。家族が亡くなってしんみりとした空気の中、なにか些細なことがきっかけで誰かが思わず笑い出してしまって、そうして結局みんなで笑ってわいわいいつも通りごはんを食べる、どんなときでもひとはお腹が空くものだ、という内容、だったと記憶していたのですが、いま久しぶりに本を開いてみたら、笑い出してしまう話とお腹が空く話はまったく別のエッセイで、どうやら頭の中で勝手に結びつけてしまっていたようでした。どんなときでもおいしいごはんを食べればちょっと元気が出るし、おいしいごはんを一緒に食べた記憶を共有できるのはなんていうか、とてもいいものだなと思います。
和歌山に住む姉が9ヶ月になった子を連れてしばらく上京していました。ちょうど母の誕生日に重なっていたので、誕生日当日は千葉に住む祖母の家を家族みんなで訪ねてお祝いをしました。車で来た両親が道すがら山ほどお寿司を買ってきてくれ、みんなで囲んで食べました。すっかり食の細くなった祖母も「お寿司っていくつ食べたかわからなくなって食べ過ぎちゃうのよね」と言ってめずらしくよく食べていて、その様子をみながらわたしも久しぶりのお寿司をあれもこれも欲張って食べました。
姉の小さな子どもは茹でたブロッコリーやかぼちゃなどを手で潰したり投げ飛ばしたりしながらも生えてきたばかりの歯で上手に食べているようでした。途中何度かぐずったりもしていましたが基本的には終始にこにこと、みんなに順番に抱っこされたりおもちゃで遊んだりしていて、祖母も両親も、みんな嬉しそうで、窓の外はよく晴れて差し込む日差しも暖かくて、なんだか久しぶりに過ごすただただ穏やかな、平和な一日でした。
最近はなんとなく家族についてよく考えます。わたしはいまのところ結婚の予定もなければ願望も特にないし、子どもは好きだけれど欲しいという強い気持ちもありません。これから先まだまだ続くであろう人生をひとりで過ごすのだろうかと考えてみるとそれなりに少し心許ない気持ちもなるのですが、でもわたしはひとりでいるのが好きだし心地良いと感じるからこのままでもいいとも思っているしそういう人生も当たり前にあると思っていて。まぁ、なるようになるでしょう、というのがずっと思っていることなのですけれど。
祖母と一緒に食事をするとよく「一緒に食べると美味しい」「ひとりだと味がしない」と言います。確かに家族や友人と囲む食卓は賑やかで楽しくて、いいものだなあ幸せだなあと思います。でもわたしはひとりの食卓も好きで、自分で作った簡単な食事を美味しいと思うし、そう思えることは嬉しいことだなと思うのです。とどのつまり美味しいものを美味しく食べられたらそれでひとまずは幸せ、ということなのかもしれません。
スープの美味しい季節になったので、今朝はひよこ豆と白菜や蓮根など季節の野菜をたっぷり入れたスープをお鍋いっぱいに作りました。時間をかけて煮込んだらうっとりするほど美味しくて出来上がって、とても満たされた気持ちになりました。昆布のお出汁に味付けは塩と胡椒だけというシンプル極まりない野菜のスープを美味しく作れたときにわたしはいつも特別に幸せな気持ちになります。
なんだか取り止めもなく書いてしまいました。きっとあっという間に年末が来ますね。富山はそろそろ雪が降るのかな。さよこさんの家の炬燵でぬくぬくさせてもらったことを思い出しています。あのときの食卓も楽しかったですね。さよこさんが炊いておいてくれた新米が美味しくて。また富山にも行きたいなあ。最近はまたどこかに出掛けて行きたい気持ちがむくむくと膨らんでいて、なんとなく落ち着かない気持ちで過ごしています。
#Nozomi Nobody