みちわたるしんたい[4通目]天ぷら家族
Photography & Text : Nozomi Nobody
Title Lettering : おざわさよこ
あっという間に年末ですね。ここ数年そんなふうに思った記憶はないのですが、今年はなんだか信じられないような気持ちです。時間の伸縮というのはなにによって起こるものなのか、いつも不思議です。
祖母からは先日も葉書が来ました。わたしも彼女の言葉遣いや所作、文字面などに宿る気品みたいなものにはっとすることがあります。現代人にはなかなか身につけるのが難しいように思われるそういう特性がどのように養われてきたのか、わたしの知らない彼女の人生にぼんやり想いを馳せたりします。
さよこさんの書いてくれた「ひとりの人間の旅が終着駅に向かうさまを受け止める」について、わたしはまだそれをしたことがありませんが、わたしの祖母ももう90だし、そして父と母も確実に歳をとっているわけで、そう遠くないうちにわたしのところにもやってくるのですよね。そういうことも最近は少しずつ考えるようになりました。
揚げものの話、懐かしい気持ちで読みました。うちも姉、わたし、弟の三人姉弟なので、さよこさんの家と同じなのですが、なかなか三人揃って衣をつけたことはなかったような気がします。お手伝いをするのは三人のうち誰か一人、多くても二人だったんじゃないかな。うちの姉弟は仲が悪かったわけではないのですが(と言いつつ十代後半、姉とはひどい不仲でした、その話はまたいつか)一緒になにかをやろうとすると大抵ケンカになりました。それぞれの我が強すぎて基本的に協調性に欠けるのです。ほかの家の兄弟喧嘩がどんなものなのか見たことはありませんが、我が家のそれは相当ひどいものだったと思います。ありとあらゆる罵詈雑言、殴る蹴る引っ掻くは当たり前で、相手の大切なものをゴミ箱に捨てたりという陰険なものもありました(書いていて恥ずかしい)。
わたしは去年一年久しぶりに実家で暮らしていたのですが、もともと実家暮らしの弟と、渡り鳥のような生活の小休止に帰ってきた姉と、それから両親と、思いがけずしばらくの間家族5人で生活をすることになりました。「ごはんだよー」と呼び合ってみんなで食卓を囲む日々がまた来るなんて!という感慨も束の間、すぐに姉とも弟ともそしてときには両親ともぴりぴりし始めて、子供のころに感じていた“わかり合えなさ”を久しぶりに痛感しました。彼らといると、当たり前ですが家族といえど別の人間なのだなということをしみじみと思い知らされます。両親とも姉弟とも、少し離れた程よい距離にいるくらいがお互い優しくいられて平和でいいなと最近は思います。
そんな我が家の揚げものといえば、断然天ぷらです。母にとってのおもてなし料理がどうやら天ぷらのようで、この数年は姉が海外からのお客さまを招く機会が多く、そういうときには母が必ずといっていいほど大量の天ぷらを揚げていました(わたしはそのころは実家にはいなかったのですが、姉から「お母さんまた張り切ってる!」と報告がきました)。
去年の夏、わたしが実家にいたときには姉が天ぷらをしてくれました。そのときもテーブルに乗りきらないほどたくさん、誰の誕生日なのかと思うような豪勢な食卓でした。わたしたちが子供のころは毎年夏休みに長野の父の実家に帰省していたのですが、親戚が大勢集まった長い長い食卓に祖母や叔母が揚げてくれた山盛りの天ぷらの大皿がいくつも並んでいました。うちの家族はみんな天ぷらが大好きです。
揚げものって面倒だから自分ひとりのためにはなかなかやらないし、天ぷらもそれ以外の揚げものもみんなでわいわい囲む“家族の食卓の特権”という気がします。どんなに喧嘩をして相手を憎らしく思っていても、同じテーブルで同じ美味しいものを食べていると人間って怒った気持ちのままではいられないのですよね。そういう自分の単純さに戸惑いと恥ずかしさを感じつつ、でもわたしたちはそうやって随分と食卓というものに助けられてきたのかもしれません。
今年の冬、姉に子供が産まれる予定です。年が明けたら彼女たちの暮らす和歌山に会いに行こうと思っています。両親にとっては初孫で、口にこそしませんがよほど嬉しいのらしく、大量のベビー服やベビーグッズが詰め込まれたダンボールがいくつも届いているそうです。無事に生まれてきてくれることを願うばかりです。あとはようやく着手している制作にも、引き続き粛々と取り組むつもりです。さよこさんは岐阜に帰られたりするのかな。来年はどんな年になるでしょうか。
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