Vol. 06 / 02 灯
Model : 荒井佑実 – アーティスト(https://www.yumiarai.com)
Photography : Kalina Leonard – 写真家(https://www.instagram.com/kalinaleonard/)
Direction & Text : Nozomi Nobody(https://nozominobody.net)
撮影を終えて、3人でピザを食べながらワインを飲んで話をしていると、荒井さんとカリナちゃんが揃って「女性だけで撮影できたのがよかった」ということを言った。「男性がいたら今日みたいな撮影にはならなかったと思う。」
un/baredをはじめてから、性別などの属性に関わらずいろんなひとに出てもらいたいねということをともまつとよく話していたし、いまも変わらずそう思っている。それでもこれまでに関わってもらった男性がカナイフユキさんひとりに留まっているのはどういう理由からなのか、複合的なものだと思うけれど、無意識に働いているいろいろな感情がないとも言い切れない。どうだろうか。わからない。
この世界にあって女性であるということはどういうことなのか、もう何年もずっと考えている。最近になってフェミニズムに関連する本を読むようになり、これまで自分が感じてきた違和や不快や不自由といった様々な感情、経験がするすると一本に繋がっていった。そうか、ぜんぶわたしが女だったからなのか、そうだったのか、とようやく理解した。
わたしは自分の女性性を受け入れるのにものすごく時間がかかった。いまでも受け入れられていると言えるのかどうかあまり自信がないのだけど、以前に比べたら背負っているものが少しは軽くなっているという感覚がある。十代、二十代の頃は女としてみられることが嫌で嫌で仕方がなく、ひとりの人間としてよりも先に「女」として扱われることが本当に辛かった。まあ、それはいまでもそうなのだけど。
思えばわたしは長らく生粋のミソジニストだった。女性という生き物を馬鹿にし、見下し、嫌悪していた。女の敵は女という言葉を真に受け、どうにかその枠の中にハマらないように、いつもいつも気をつけて物事を選択し、行動していた。それでもわたしは紛れもなく、女性だった。だからいつも自分がちぐはぐで苦しかったのだと、いまはわかる。
あまりにも、たくさんのことがあった。思い出すだけで体が硬くなるような、未だに仕舞い場所がわからない感情がうわっと湧いてくるような、そういう出来事は何度も何度もあったし、毎年、毎月、飽くことなく起こり続けている。そしてそういうことというのはどれもわたしが女でなければ起こらなかったであろうことばかりで、そしてそういうことを経験しているのは決してわたしひとりではないのだった。
女性とマイノリティーだけの世界を作りたいな、ということを、一時とてもよく考えた。わたしたちは不当に傷つけられたり尊厳を踏みにじられたりすることなく、時間も感情もエネルギーも、あらゆることを有意義につかい、そしてそれらが循環していく世界。夢のようだと、いま想像してみても思う。
それが根本的な解決策ではないことはわかっている。本当に目指すべき、望む世界のあり方だとは思わない、でも、伝えようとすることも、変えようとすることも、争い闘うことも、骨が折れるばかりでまったく不毛だという気持ちがどうしてもしてしまう。
そういうことをぽろっと口にすると、カリナちゃんが「女性たちが自分らしさを模索して新しい生き方をしてるっていう事実がすごい大事だと思ってて、だから今日は撮影ができてよかった」と言ってくれて、荒井さんが「女性であるわたしたちが表現していることが自ずとそこに繋がっていくっていうか、それ自体が希望だし、意識せずとも力になってると思う」と言ってくれた。
わたしたちはこれからどんな世界を望み、つくり、そしてどんな未来をつぎのひとたちに手渡していけるだろうか。
そんなことを考えていれば、元自衛官の23歳の女性がたったひとりでセクハラと闘い、陸上自衛隊と防衛省からの謝罪を勝ち取った。イランでは女性たちが髪を切りヒジャブを燃やして、命がけの抗議を続けている。
ふたりの言葉が、たくさんの「彼女」「彼」たちの闘いが、いまわたしの胸のあたりで小さな灯になって揺れている。
Vol. 06 / 01 絶えず流動している さまざまな速度で
Vol. 06 / 02 灯
Vol. 06 / 03 これでしか